●ツリーのためのツーリング

久しぶりに天気の良い日曜日。長男が昨年作ったクリスマスツリー
ことを覚えていて「またツリー作りたい!」と言うので、大濠公園まで
松ぼっくりを拾いに行きました。

バスで行くつもりで玄関を出たところ、長男と娘が「チャリがいい!」の連呼。車がない我が家では自転車が大人気で、なぜか二人とも乗りたがります。天気もいいしまぁいいか、ということで、私が娘を、妻が息子二人を乗せて出発。え?分担がおかしい? いえいえいえ、だって…
妻の自転車は… “電動機付き”なのです!(ここすごい自慢)

少し前は、ちょっと耳を疑うような遠い場所へも子ども二人を乗せてボロチャリで出かけていた行動派な妻も、次男誕生時に「さすがに三人は…」「安全面もあるしね」「じゃあうちもそろそろ…」ということになり、半年前に“電動機デビュー”を果たしたのです!(周りには随分「乗用車デビューでしょ普通!」とつっこまれましたが…。) これで三人でも全然OK!とばかりに乗り回しています。(自己責任ですよ)
ただ…。問題は私の方。負担が少ないとはいえこちらは変わらずボロチャリなので、坂道でもスイスイ進む電動機な妻についていくのにもう必死。 今ちょっと筋肉痛です…。う…運動不足解消だ~!

●受験に向けて

いよいよ受験シーズンの到来。福岡の私立中学入試は、年明けすぐからのスタートです。
受験生にとってはもちろん、保護者の皆様にとってもここが正念場です。「ここまで頑張ったのだから合格させてあげたい!」 そう思う気持ちが強いぶん、子どもの不足が目につくこともあると思います。
「これまで不足の指摘を一切したことがない」という方は、ぜひ一言アドバイスしてあげてください。
重い一言に気持ちも引き締まるはずです。しかし、(こちらの方が多数派だと思いますが)「これまでも不足の指摘を度々繰り返してきた」という方は、ちょっとやり方を変えてみましょう。この場合、残念ながらアドバイスは小言としか受け取られませんので。

例えば自分なら。 職場の上司から、不足の指摘を延々と繰り返されたらどうでしょう。(経験のない方は、姑さんから(笑)とか適当に置き換えてみてください。)それがこちらのことを思う温かい気持ちから出た言葉だと頭でわかっていたとしても、言われれば言われるほど自信を失って、やる気が低下することってあるような気がしませんか?
ところがその上司が、ある日突然、「うん、今まで口うるさく言ってきたけど、もう大丈夫そうだな。よし、君はもう一人でやれるはず!君を信頼して、君に全て任せるから、失敗を恐れずに思いっきりやってごらん。頑張れよ!」な~んて言って、それからは本当に何も言わず、でもちゃ~んと見守ってくれて温かい気遣いのあるサポートに徹してくれたら…。なんかちょっと「よし、やってやる!」という気持ちになりやすいと思いませんか? 

もちろん、不安が大きいから口出ししてしまう訳で、この作戦の実行には勇気が必要です。でも、受験終了後のことまで考えてみてください。本人にとって学びが大きいのはどちらでしょうか。言われてやらされて手にした合格と、自分で主体的に努力して勝ち取った合格、どちらが価値があるでしょうか? 
それから当たり前ですが、任せると言っておきながら口出しするのは最悪ですよ(笑)。任せると決めた以上は耐えて見守ること。子どもの自立と成長を促すキーワードは、“勇気”と“忍耐”だと思います。
親子共に、後悔を残すことなく「やるべきことをやりきった!」と思える受験になるといいですね。

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●クリスマス祝会

明日で二学期が終わり、冬休みに入ります。クリスマスにお正月、子どもたちにとっては嬉しい行事が満載ですね。ここ何日か、クリスマスの話を子どもたちとしていて、「最近の子は違うな~」と感じたのですが、皆、サンタについて妙に詳しい!フィンランド出身とか、トナカイは8匹いるとか、それらの名前は…とか。一昔前とは情報の量が違うんでしょうね。誰に聞いたのか、「実はサンタのおもちゃ工場は中国にある」なんて言ってる子まで(笑)。

写真は長男の幼稚園のクリスマス祝会での一コマ。園児たちがキリスト生誕の劇を演じるというので、どんなものか覗きにいったのですが、とても良かったです。未経験の緊張に強張る表情と頼りない
ちいさな体。最初は「大丈夫?」と心配な気持ちで見ていました。
ところが、「いよいよ自分の番!」というときには、皆が皆、表情や姿勢がスッと変わって、凛とするのには驚きました。腹のくくり方、立ち向かい方、本当に立派でした。「まだ小さいのにすごい」というのとは違って、同じ人として敬意を感じました。
上司も先輩もいない私ですが「まだまだ子どもたちから学ぶことは多いな~」と改めて感じた一日でした。

● 一年の終わりに

今日で2011年の授業も全て終了。明日から正月休みで北九州の実家に帰ります。

年始に “飛躍の年” と位置付けた二年目の今年。
春には教室生の人数もグンと増え、授業の熱気もグンとアップ、理想の教室への道のりは順調です。添削サービスも期間延長で継続して頂ける方が多くて、ここ最近はずっと満席の状態。沢山の経験を積むことで、指導のクオリティも間違いなく上がっていると思います。
プライベートでも家族がひとり増え、かわいい盛りの三人が仲良くじゃれあう姿に頬が緩みっぱなしの毎日。仕事(母乳育児相談haru)を始めた妻とも上手く協力しあって、シンプルで楽しい生活を送ることができています。

しっかりと “飛躍の年” を実現できた一年でした。
生徒保護者の皆様はもちろん、サポートして頂いている皆様、まめにブログを読んで頂いている皆様にも、感謝の気持ちでいっぱいです。一年間、ありがとうございました!

でも…。なんだろう、このすっきりしない気持ちは…。これは… 悔しさ?
なんとも整理できない気持ち、そして悔しさが残る一年でもありました。

思えば十代の頃から、この社会のありかた、というものに対して、常に大きな疑問と不満を持っていました。年を重ね36になった今でも、それらは消えることがありません。自分の中で色々あって、最終的に「つまらないものとは関わらない」というスタンスで社会的なものからの離脱(解脱?)を試みているような私ですが、2011.3.11以降、そうも言っていられない状況があります。
いつも子どもと関わっていて精神年令が小学生並みなので普段はあまり意識しませんが、実年令を
考えると、「この状況は自分の責任でもある」、そう思わざるを得ません。

十代の頃は批判して反抗する対象だった“大人”に、いつのまにかなっている自分。その自分が一員としてつくりあげている今の社会。決して子どもたちに誇れるような状況にはない今の社会。
そういったことを考えると、自分の無力さに悔しさがひしひしと湧き上がってきます。年を重ねる意味はどこにあるのか。子どもの希望をはぐくむ “大人” になりたいし、希望に応える “社会” をつくりたい。
改めてそう思います。悔しさを力に変えて、来年も、自分にできることは何か、しっかり考えてやりきりたいと思います。