● 一年の終わりに

今日で2011年の授業も全て終了。明日から正月休みで北九州の実家に帰ります。

年始に “飛躍の年” と位置付けた二年目の今年。
春には教室生の人数もグンと増え、授業の熱気もグンとアップ、理想の教室への道のりは順調です。添削サービスも期間延長で継続して頂ける方が多くて、ここ最近はずっと満席の状態。沢山の経験を積むことで、指導のクオリティも間違いなく上がっていると思います。
プライベートでも家族がひとり増え、かわいい盛りの三人が仲良くじゃれあう姿に頬が緩みっぱなしの毎日。仕事(母乳育児相談haru)を始めた妻とも上手く協力しあって、シンプルで楽しい生活を送ることができています。

しっかりと “飛躍の年” を実現できた一年でした。
生徒保護者の皆様はもちろん、サポートして頂いている皆様、まめにブログを読んで頂いている皆様にも、感謝の気持ちでいっぱいです。一年間、ありがとうございました!

でも…。なんだろう、このすっきりしない気持ちは…。これは… 悔しさ?
なんとも整理できない気持ち、そして悔しさが残る一年でもありました。

思えば十代の頃から、この社会のありかた、というものに対して、常に大きな疑問と不満を持っていました。年を重ね36になった今でも、それらは消えることがありません。自分の中で色々あって、最終的に「つまらないものとは関わらない」というスタンスで社会的なものからの離脱(解脱?)を試みているような私ですが、2011.3.11以降、そうも言っていられない状況があります。
いつも子どもと関わっていて精神年令が小学生並みなので普段はあまり意識しませんが、実年令を
考えると、「この状況は自分の責任でもある」、そう思わざるを得ません。

十代の頃は批判して反抗する対象だった“大人”に、いつのまにかなっている自分。その自分が一員としてつくりあげている今の社会。決して子どもたちに誇れるような状況にはない今の社会。
そういったことを考えると、自分の無力さに悔しさがひしひしと湧き上がってきます。年を重ねる意味はどこにあるのか。子どもの希望をはぐくむ “大人” になりたいし、希望に応える “社会” をつくりたい。
改めてそう思います。悔しさを力に変えて、来年も、自分にできることは何か、しっかり考えてやりきりたいと思います。