●味わいながら、進もう。

6月は面談期間。この三日ほど、なぜかはわからないけれど料理の話になることが多く、私も料理についてはちょっとしたコダワリがあるので、ここでちょっと料理と勉強の関係について思うところを。

料理の楽しさ、というのはつまるところ、“レシピのない料理”あるいは“レシピに頼らない料理”にこそ
ある、というのが私の持論です。もちろん、レシピの通りに仕上げる楽しさ、というのもあるとは思うのですが、それでもやはり、自分の感覚を頼りにアイデアをかたちにすることができたとき、素材を活かしきることができたとき、そんなときは格別の充実感があると思うのです。

料理の初心者がレシピから入る、それはまあ当然のことです。でもそのあともずっと「料理=レシピに従って作るもの」という固定観念から抜けられない人は、いつでも“自分の感覚”よりもレシピを優先して、そこから外れることがないから、「なぜそうするか」を考えることなく、経験することなく、いつまでたってもレシピ通りに料理している。創意工夫ができない。そういうことってないでしょうか?いや、それを否定しているわけではないのですが、でも、“楽しさ”という意味ではどうなのかな、と。

料理ってもっと自由なものだと思うんです。レシピに頼らずとも料理はできる。「なぜそうするんだろう」とか「こうしてみたらどうなるんだろう」という疑問を持って、解明すべく実験を重ねて、その経験から “自分の感覚”というものをどんどん磨いていく。そのうちレシピより“自分の感覚”が優先されるようになり、「今日はちょっとこんな味にしてみたいから、これ試してみよう♪」という自由を手にしていく。
なんとなく、こちらの方が楽しいのではないか、と思うわけです。もちろん失敗も増えるでしょうが、そこから学ぶことができれば失敗も成功の元。経験を積めば積むほど、応用を利かせることができるでしょうし、そうすることで更に深く、料理の楽しさを知ることができるように思います。

長々と何を書いているのかというと、勉強も料理と似ているな~と思うのです。「勉強=先生に教わるもの」という固定観念に縛られている今の子どもたち。頭に浮かぶ様々な疑問を突き詰めて考える時間を与えられず、目先の結果を出すために“自分の感覚”で試してみる機会も与えられず、レシピ通り(教わった通り)にするように訓練されて。今の小学校教育は、どんどんそういう方向に向かっているように感じます。でもこれって楽しくないのでないかと。更に応用も利かないのではないかと。(「カレー、作れる?」 「うん。習った。」 「じゃあ今日は冷蔵庫の夏野菜とひき肉を使って作ってみよう!」 「え~ジャガイモとニンジン使うやり方しか習ってないから絶対ムリ~。わからんし~ありえんし~」 「・・・。」)

勉強ってもっと自由なものだと思うんです。公式に頼らずとも問題は解ける。学び舎こいくでは、「なぜそうするんだろう」とか「こうしてみたらどうなるんだろう」という疑問を、(絵という道具を使って)突き詰めて考える時間を大切にしています。レシピに書いてあるから(そう教わったから)、なんてことに縛られず、失敗してもいいから、“自分の感覚”で納得がいくまで(腑に落ちるまで)経験を積んでほしいと思っています。解明すべく実験を重ねて、その経験から “自分の感覚”というものをどんどん磨いていく。経験を積めば積むほど、応用を利かせることができるでしょうし、そうすることで更に深く、学ぶことの楽しさを知ることができるように思います。

最後に。料理についてちょっとしたコダワリが…と書きましたが、実際のところ、自分で料理するのはだいたい・・・ 二年に一回?くらいかな(笑) 色々と生意気なこと書いて、、、すみませんでしたっ!