●マレーシア旅行記(前編)

ホテル近くに屋台街発見、本場の中華に挑戦!

上海野生動物園へ。想定外の広さ。初パンダ。

 格安航空券で臨んだ今回の家族旅行、事前プランは 『昼に福岡を出発、経由地の上海を夜に出て深夜にKL着、朝まで空港で過ごして、朝のエアアジア便で東海岸のコタバルへ』 というもの。
 ところが。旅は波乱の幕開けを迎えます。台風の影響で出発が約7時間遅れ、上海に着いた頃には予定の便は既に離陸。「これは朝まで待つパターンか…」と覚悟して、カウンターで渡された乗り継ぎチケットを確認したところ、「・・・」 絶句。我々のKL出発便は…明後日の夜! つまり、丸二日後!
 
 幸いホテルは航空会社が用意してくれましたが、郊外ということもあり、同じ境遇の人達はホテル内で過ごしてたようです。我々は「せっかくの初中国、どうせなら楽しもう!」ということで積極的に外に。
「ここって…どこ?」「中国の通貨って…何?」全く情報がないのが逆に楽しくて、結果的に貴重な経験ができました。ラッキー♪ 言葉は全く通じませんでしたが、漢字の筆談が役に立ちました。

KL空港にて。あまり見かけない光景。

街歩きに疲れ公園へ。かえって疲れることに。

 この後は予定通り、深夜にKL着、空港で一泊。コタバル行きの航空券、粘って交渉してみましたが無効とのことで、予定を変えて夜行バスを利用することに決定。二日間のKL観光を楽しみました。
 KL出発の夜。チケットは既に買ったので、後はバスターミナルに行くだけ。のはずが、何だかんだと時間がかかり、気づくと出発時刻が迫ってる!「急げ!」 子どもを抱えて(+スーツケース)のダッシュはきつ~い! 汗だくで到着、「5分遅れ、ならセーフ!」 途上国なら10分や20分、バスが遅れるのは当たり前! しかし…アウトでした。 皆さん、マレーシアは立派な先進国です(泣)。
 世界一周をしていた三年もの間、交通機関の乗り過ごしや乗り遅れなど一度もなかったのに…!
やはり子連れ旅行は勝手が違う、気を引き締めようと誓い合う我々夫婦。(のはずが…) 幸い、次のバスに乗車でき(子ども達は疲れ果て熟睡し)、早朝にコタバル着。
 本当はここで何日か過ごす予定でしたが、遅れもあるしラマダンの心配もあるので、そのまま最終目的地のプルフンティアン島を目指すことに。ところが生憎の雨、ボートが揺れて子供が危ないというので港でまたもや待機…。 目の前に島があるのに~! 楽園は遠い…。(後編へ続く!)

※島での様子など、haruブログ(こちら)にもアップしてますので興味のある方はぜひ。

●マレーシア旅行記(後編)

自然がいっぱい。海へと続く道。

桟橋の先から父と母はダイブ!

泳いで食べて飲んで寝て。

 やっと辿り着いた“楽園の島”。美しいビーチで、まったりと平和に過ごす毎日。いや~最高でした♪

待つのは慣れた!空港前広場でパパイヤを食す。

飛行機に乗れるって嬉しいね!の図。

 楽しい日々は過ぎ去り、最終日。呪われた一日。まずは朝一発目、予約したタクシー乗車間際に、スーツケースのチャックが壊れて閉まらない状況に。急遽、洗濯ひもとバティックでスーツケースを
ぐるぐる巻きにして空港へ。「ふう~まにあった、ではカウンターへ…あれ?パスポートは?あれ(焦)?まさか…」 夫婦で一瞬青ざめましたが、結局は妻が衣類の中に隠していたことを思いだし一件落着。
 「たのむよ、もう~。はい、チケットとパスポートです。え?ゲートがクローズ?何?どういうこと?…あ。出発時刻…間違ってた!」 …ということで日本で予約したエアアジア便(KL⇔コタバル)、行きのみならず帰りも無効…(泣)。このミスはいくらなんでも…(恥)。結局、再度チケットを買い直し昼過ぎの便に乗ることに。予定していたKL観光は断念。またもや空港で丸一日を過ごすことに。はぁ~。
 その後は何とか無事に、KL→上海と進み、いよいよ福岡への飛行機に。ただ、その前にちょっとしたトラブルが。妻の買った自分用のシャワージェルが持ち物検査で没収。500円程度の品なのですが、ここで妻が食い下がる! 「だって、30種類位ある中からやっと1個選んだのに!」 約10分後、シャワージェルが入ったバッグを預け荷物に加えることで解決。凄い交渉力…。しかしこれが仇となります。福岡空港の手荷物預かり所に、預けたバックが届いてない!空港職員が探して連絡するとのことなので、まぁ仕方がない、待とう、ということでタクシーで自宅へ。
 「いや~長い道のりやった、これでようやく家やね。」 「…。」 「ん?」 「今思いだしたんやけど…あのバッグの中に…家の鍵が入ってる。」 「な!に!…いや、でも!随分昔に庭に合鍵を隠したよね!」 「うん…随分昔に。」 帰宅後、ひやひやしながら庭へ。記憶を辿りその場所を探すと…な……い…。
 その後は必死の宝探し大会。懸命に庭の土をほじくり返す二人。「これって何かの罰ゲーム?」
目の前に家があるのに~!安住の地は遠い…。さすがに笑う余裕もなく、全力で捜索を続けること
10分、ついに!!!  「あった~!」 「やった~!」  ・・・ふぅ~。
 最後の最後までトラブル続きの旅でしたが、どこにいても明るく元気な子ども達に救われました。
その後、荷物も無事届き、終わってみれば全て良い思い出♪ またいつの日か!このメンバーで!

●秋空

福岡は秋です。いや、暑いんですけどね、夏かってくらい。
でも、空が、秋。 好きなんですよね~高くて澄んだ秋空。

秋空と言えば8年前の秋に妻と行った、チベットのレーという街の空が忘れられません。標高3650m、富士山頂(3776m)と同じくらいの場所にあるからだと思いますが、信じられないくらい空が高くて青くて深くて美しくて…。 宇宙…って感じでした。
ただ辿り着くまでは大変。我々はインドから陸路でヒマラヤを超えました。標高5000m、凄い景色でした。しかし凄い頭痛。そんな中でのトラブル…。相当ハードでした。でも、先日の家族旅行もそうでしたが、大変な分だけ、乗り越えた喜びも大きいんですよね~。

ところで教室の状況。い~い感じです♪ 夏が終わったので、曜日別のメンバーに戻ったのですが、皆だいぶ打ち解けて、笑うときは一緒に笑うし、頑張るときは一緒に頑張る!という感じで、とても良い雰囲気です。そして皆、一筋縄ではいかないハードな難問に、懸命にチャレンジしてくれています。
「みんな~、苦境こそ成長のチャンス! 諦めず前向きに工夫して、仲間と一緒に乗り越えよう♪」

●最強の知育玩具シリーズ ④

 さて“知育玩具”について。「算数の楽しさ、学習の楽しさを伝えたい!」と考えている私ですから、
当然、知育玩具についてもけっこう詳しいです。(あ、今回は水とか土ではなくホンモノの話。笑) 
しかも4才・2才・0才という適齢期の子どもが3人もいる訳ですから、部屋の中は知育玩具だらけ! 
…と思いきや、実際には知育玩具どころか普通の玩具もあまりありません。人から沢山頂いているのでそれなりにはあると思うのですが、妻が「友達の家に行くと玩具が多いのにいつも驚く」と言っているので、標準よりはだいぶ少ないようです。

 なぜそういう状態なのかと言うと、理由は滝家の家訓なのです。《家訓:食べ物やモノを大切にする。粗末にしない。》 つまり「新しい玩具を欲しがる前に、今ある玩具を大切にしよう」ということなのです。私も欲しい知育玩具は沢山あるので、買って遊んで「知育玩具ベストテン!」とかやって皆さんのお役にたちたかったのですが、家訓なのでどうにも仕方がないのです。(妻と私で決めたんですけどね♪) 

 ただ、この「簡単に買い与えない」というのは、やってみると良いことも多いように感じています。自制心や忍耐力が育つし、「早く大人になって好きなもの買ってやる!」という大人への健全な憧れも育ちます。あ、それから家計を助ける(笑)。そしてエコ、地球も助ける(笑)
 何より大きいのは「能動的な姿勢が育つ」ということです。子どもは本来、何でも玩具に変身させて
面白がれる力を持っています。玩具がないならないなりに工夫して遊ぶんです。むしろ足りないくらいの方が、能動的に動く力がつくように思います。
 しかし次から次に玩具を与えたらどうなるでしょう。飽きてからが勝負、どうやって面白がれるかが
試されるのに、その機会を持つことなく次、また次。これでは工夫する才能は失われます。「こうやって遊ぶんだよ」と遊び方を指定されないと遊べない子になります。飽きたらそれ以上は遊べないので、「じゃあ次の玩具を買ってやろう」、悪循環の始まりです。

 つい熱く語ってしまったのは、生徒を見ていて「能動的な姿勢の大切さ」を日々感じているからです。次から次に与えられる情報、次から次に与えられる課題…。子ども達を受動的にしてしまう要因が溢れています。「子どもの将来のために何をしてあげようか?何を与えてあげようか?」親なら当然考えることだと思いますが、能動的な姿勢を育てるためには、「あえてしてあげない。与えない」ということも必要な気がします。子どもの人生を真に豊かにするためには、“魚”を与えるより、“釣りの楽しさ”を
教えてあげることが大切なのではないでしょうか。

●物にも魂が

前回の記事で紹介したとおり、「物を大切に」というのは滝家の家訓でもあります。長く旅しているうちに、自然とそういう姿勢が身についてきました。「バックパック1個分の荷物でも生きていけるんだな」「物が少なくても豊かに暮らしている人達が沢山いるんだな」そういったことを実感できたので、たとえ車やテレビやレンジがなくとも、今の暮らしは贅沢すぎるくらいだと思っています。
物を大切にすると、「物にも魂がある」ということがわかってくるように思います。今朝、そのことを感じさせる、ちょっと不思議な出来事がありました。

愛しの旧パソコン

よろしく新パソコン

教室を始めてから一年半、いつも寄り添うように一緒にいたノートパソコン。自宅と教室の往復がこたえたのか、少し前から調子を悪くしていました。色々と解決策を講じたのですが上手くいかず、ついに修理に出すことを決めました。しかしそうなると… 毎日送られてくる答案は? ということで結局もう一台パソコンが必要、となり、この二週間程はパソコン選びと購入とセットアップ、データのバックアップに転送、と大忙しの毎日でした。なにせ瀕死のパソコンは、10分くらい電源ボタンを何度も何度も押してようやく起動、と思ったら1分後に固まりやり直し…といった具合で調べものをするのにも一苦労。
いつ動かなくなってもおかしくない、という状態でした。そんな中、昨夜、なんとかすべてのデータを転送し終え、ほっと一息ついたのでした。
そして今朝。ちょっと比較しておきたい点があったので、両方のパソコンの電源をつけたところ…。古いパソコン、全く反応しない…。いや~驚きました。
ちょっと伝わりにくいのですが、本当にすっごいタイミングだったんですよ!
まるで 「これでボクがいなくてももう大丈夫ですよね。では。」 というような。
これが三日前だったら、どんなに絶望したことか! 本当に助かりました。
ありがとね。いやでも、修理が終わったらまた会いたいな。待ってるよ! 

物の心を感じとれたら、毎日がもっと豊かになるのかもしれませんね♪
(追記:その後、旧パソコンも無事に帰宅し、仲良く二台で頑張ってます)