●算数の宿題が・・・わからない!

数日前の夜、家に帰ると、居間の机の上に「4cm3mm-1cm5mm」の考え方を説明したメモ用紙が。妻の字で書かれているのですが、ずいぶん説明に苦戦している様子が伝わってきます。夜中に起きてきた妻に聞いてみると、長男(小2)が宿題で「わからないところがある」と聞いてきたらしく、「よくわかってないからちょっと心配になった。最後はわかったみたいだけど。」とのことでした。

少し気になって小学校の教科書を見ると…「あ!これは…なるほど」 「あのね~これはわかんなくても仕方ないよ、だってひき算の筆算まだ教わってないもん。繰り下がりを習ってないんだよ」と話すと「じゃあなんでこういう問題が宿題にでてるんだろ?」 確かに。当然の疑問ですね。

でもこれはよくあることなんです。効率的に理解を積み重ねていくためには、“学習順序”というものが重要になってきますが、小学校の宿題には、この学習順序の観点から見て「あれ?」と感じる問題が時々でてきます。上記はカリキュラムを考慮していないケースですが、そもそもカリキュラムが「あれ?」だったりします。例えば1年生で習う“時計”。生活で触れる機会があるので早々と登場するのでしょうが、子ども達が始めて触れる「単位換算」が基本(10進法)から外れた60進法の「1時間=60分」というのは、学習順序の観点から見るとどう考えても「あれ?」です。

ではこういう場合、どのように対処すればよいのでしょうか。もし本人がなんとか理解しようと頑張って聞いてくるのであれば、親も頑張ってつきあってあげればいいと思います。難しいのは本人のやる気がイマイチなとき。わからないとどうしてもそうなりますから。そんなときはどうするか。

私が考える正解は…“わかんなくても仕方ない、と割り切る”です。「え?いいの?」 …いいんです!
本人に聞く気がないのに教えても無駄です。「でもわからないままだと勉強が嫌いになるんじゃ…」
いやいや、無理に教えようとして苦しい時間を過ごす方がよほど勉強嫌いになります。そもそも、教えたらわかる、というのは幻想です。わからないものはわからないんです。(“わかる”状態ではなく、手法だけを徹底反復させて“できる”状態にするのは可能ですが。)

ここで強調したいのは、必ずしも“今”わからなくてもいい、ということです。今わからないとずっとわからない、そんなことはないですよね? 大抵の子は学年が進めば時計を読めるようになりますし、「4cm3mm-1cm5mm」もわかるようになります。理解には“時間”が必要な場合があるし、どのくらいの時間が必要かは子どもによって違います。それを何がなんでも“今”わからないと、と焦って無理に教え込む必要はないのです。実際、学校の勉強を離れれば、子どもにとって(大人にとっても)、この世の中、理解できないことで溢れています。でも人間には、それを保留(熟成)させておいて時が来た時に理解する、という能力が備わっているのです。

「わからない」は悪いことではありません。教室生・添削生に解いてもらう問題選びの際、私は時にあえて「これは今はわからないだろうな」という問題を選びます。もちろんいつもは“学習順序”を考慮しているのですが、時にそれを無視してみるのです。解けると大きな自信になります。解けないと挫折感を抱きます。でもそれでよいのです。そういう問題はストックしておき解けるまで再挑戦してもらいます。それが解けたときの喜びの大きさ、得る自信、理解の深さを考えてみてください。だからどんぐり倶楽部では、解けなかった問題を特に大切にして“お宝問題”と呼ぶのです。

ということで、「わかんなくても仕方ない」ような宿題を出すな、という話ではなく、「わかんなくても仕方ない」と思えない完璧主義な子育てから脱却しましょう、という話でした。「宿題を教えてあげようとしているのに全然やる気がなくてケンカになった」というのはよく聞く話ですが、もしかするとお子さんは「わかろうとしてもわからない」という悲しい状態を更に攻められて、心を痛めてるのかもしれませんよ。

今の日本社会は、子育ての責任が過度に母親個人に向けられ過ぎているので、お母さんが責任感ゆえの不安を膨らませるのは仕方ないと思いますが、であればぜひ、それを正しい努力に結び付けてほしいと思います。正しい努力とはすなわち、子どもが望んでいないときには教えようとしない、深追いせずサッと切り上げて、無益な時間(わからない宿題をする時間)を有益な時間(考える力=遊び力を高めるための時間)へ切り替える、ということだと思います。